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映画の感想つらつらと。

『aftersun』鮮やかな色彩は太陽の熱と共に。

年間ベスト入り間違いなしの良作でした。

※ネタバレあり

 

aftersun
監督:シャーロット・ウェルズ/2023年/イギリス・アメリ

 

私の家族は、夏休みに沖縄の石垣島へ旅行に行くのが恒例だった。それは年間行事ともいえる一年のうちの大きなイベントで、私が実家を離れるまではほぼ毎年行われた。しかも宿泊先は毎回同じホテルなのだ。大きなプールと綺麗なビーチ。提供される食事はどれも絶品。たしかに他の選択肢は考えられなかった。

 

ホテルのプールやビーチで過ごす日々。全身の感覚がなくなってしまいそうな勢いで果敢に泳いだ後は、へとへとになった体を灼熱の砂浜の上で休める。波の音に耳を傾け、焦がれるように熱い太陽の光を全身で受け止めて、夢かうつつか判然としない時に身を委ねる。太陽、砂浜、海、はしゃぐ声も全てがキラキラした幻のような光景。もはや時間を超越した永遠の中にいるような、極上の感覚。

 

日常の喧騒を離れて過ごす夏のひとときは、1年の中で最も贅沢な1週間。毎年同じホテルで過ごすということもあって、感覚としてはアクティビティを楽しむというより別荘へ体をリフレッシュしに行く方に近い。いつものプールにいつものビーチサイド。料理も船も観光もいつものプランで、疲れ切った体を休めエネルギーを充填する期間。

 

初めは両親と3人で行っていたそれも、途中から弟が増えて4人になり、親戚も交えた大世帯で行く時もあった。同じ場所でも毎年新しい景色を見つけ、またとない特別な旅を楽しんでいた。

 

しかし、私も大学生になってからは流石に家族旅行に対しての気恥ずかしさが表れる。人目も憚らずさはしゃぐことは少なくなり、どちらかといえばビーチサイドでのんびりと過ごすことが増えていた。

 

パラソルの下デッキチェアに寝そべり、無邪気に騒ぐ弟の姿を見る。家族が楽しむ様子を見ながら、ふと頭の中に「最後」という二文字がよぎった。自分がこうして親に連れられて行く旅行も、あと何回もないんだろうということを唐突に考え始めてしまった。

 

否応なく進み続ける時の流れの中で、幼かった頃の「あの旅行」が手の届かない遠いところまで離れてしまったような気がした。成人でありながら学生でもある曖昧な年頃にあるありふれた心の変化ではあるものの、変わらない景色の中でただ1人私だけがズレていくような感覚。思い出は確かに温かく、それゆえに喪失感を大きく感じてしまったのである。

 

 

本作が強く印象に残ったのは、この記憶の温もりと現実の冷たさのコントラストに打ちのめされてしまったことに他ならない。それはつまり確かさと不確かさ、柔らかさと鋭さの応酬である。

 

映画の中で流れる映像のほとんどは父カラムと娘ソフィの平凡な夏休みだ。それがビデオテープに残された記録か現在のソフィが懐古あるいは補完する記憶かの違いはあるが、概ねトルコ旅行でのリゾート地の景色である。画質が低いビデオ映像が遠い昔の曖昧な記憶とリンクしノスタルジックな雰囲気を醸し出す。リゾートホテルの中で楽しむソフィ。同じく家族旅行でやってきた子供や青年たちと交流しながら、時折映る子供らしい目線から見た「大人の世界」が絶妙だ。

 

カラムはなぜ離婚してしまったのか、現在はどのような生活をしているのか、ソフィの母親は何をしているのか、劇中での細かい言及はなされない。しかしそれでも、当時のカラムがあまり芳しくない状況にあることは彼の仕草を(そして何よりも物語の結末を)見れば察しがつく。愛娘と2人きりの夏休み。特別な時間を過ごしている中で時折見せる虚ろな表情が胸に刺さる。ふとした時に流れるカラムの不穏な場面は映画に適度な緩急をもたらしながら、少しずつ胸のざわつきを大きくしていく。

 

そして映画はエンディングで突然物語を動かし始める。懐かしのビデオテープを見ながら当時の父親に心を重ねるソフィ。カメラを挟んで対峙する父娘。そしてどこか遠く闇の中へと姿を消すカラム。眩しく輝いていた思い出が泡となってはじけていくような感覚。当時の父と同じくらいまで歳を重ねさまざまな経験を経た今だからこそ、知る由もなかった父の苦しみに思いを馳せる。脳内でリフレインされる映像が色鮮やかで温もりに満ちたものであるほど、父が抱えていたであろう心の傷が痛々しく感じられ、今ではもうどうにもならない虚しさもまた辛い。

 

カラムが登場するシーンの多くは、構成からして娘から見た父の虚像ということになるのだと解釈している。しかしながらソフィが子供ながらに感じて取っていた印象の数々は、全てが終わった今、点と点が結ばってはっきりとした輪郭を帯びてくる。

 

先述の通り全てをつまびらかにしないからこそ、断片的な描写を頼りに、描かれなかった空白を埋めたくなってしまう。その空白は明確な答えがないからこそどこまでも広がり、私の体験にも重なってしまう可能性すらも見せる。ソフィは父との最後の思い出を振り返り、あの頃の尊さと父の苦しみ、そして父を失った喪失感を確かめる。交互に反芻する相対する思いはどんな懐古よりも強烈なノスタルジーを与えてくる。胸をきゅっと締め付けられるのが苦しく、でも優しさも感じられる。私の実体験にも重ねて受け取ってしまうこの感覚が心に染み付いて離れない。

 

 

映画の感想を書くにあたって振り返りの意味で予告を見たところ、穏やかな情景の全てにカラムの暗い影を意識してしまい凄まじい虚脱感に襲われてしまった。思えば初めの鑑賞は気分としては何も知らない幼少のソフィそのものである。もしこの先2回目の鑑賞があるとすれば、その時は間違いなく大人のソフィか、当時のカラムの視点で見てしまうに違いない。

 

多くは語らない映画だが、だからこそ描かれなかった空白に思いを馳せる余韻を残し、その景色は文字通り幻想として私の心に残り続ける。

 


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