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映画の感想つらつらと。

明日は我が身を思う『The Son -息子-』

※ネタバレあり

 

The Son
監督:フローリアン・ゼレール/2022年/アメリ

 

辛い話だ。

 

息子が精神的に参ってしまい、果てには自死してしまう。

 

私もコロナが流行り始めた辺りでメンタルをやられてしまったことがある。自宅から出ることもなく、家族以外の人間と触れ合うこともない、リビングと自室を往復するだけの機械的な生活を過ごしていると、段々と日常から色が抜け落ちていくような無味乾燥とした感覚に陥った。不思議なことに好きな映画を観ようという気すら起きず、今思い返してみても相当にしんどい状態だったのだと思う。本作のニコラスはきっと私の比にならないくらいしんどい思いをしていたはずだ。この映画は途中脇道に逸れることなく、定められたエンディングに向かって真っ直ぐ進んでいく。坂道を転がるボールのようにニコラスの精神は次第に悪化し、その進行を誰も止めることはできなかった。

 

監督はコロナ禍の中でこの映画を撮ることを決めたらしい。非日常の中で暮らすという未曾有の事態において誰もがメンタルケアを意識する必要があることを示したかったとインタビューで答えていた。誰もがニコラスにも、ピーターにもなり得る可能性があるということだ。もし大切な人が気を病んでしまった時、適切な対応を取れる自信があるだろか。本作は最悪であり最適なモデルケースとして捉えることすらできるのではないか。作品として鑑賞すると同時に、もし身の回りで起こったとしたら…と現実に寄った見方もしていた。

 

この作品は人物相関が巧妙に構築されている。父親であるピーターを起点として3つの家庭が登場する。①前妻とその息子兼今作の主役ニコラスの家庭、②現在の妻とその息子の家庭、③ピーターとその父親の家庭である。そしてこれらのコミュニティのいずれにも属するのがピーター、いずれにも属さない(属せない)のがニコラスという位置付けになっているだろう。 

 

まずピーターについて状況を整理する。彼は法律事務所の社長を務め、2人目の妻と新たに生まれた息子と共に暮らしている。まさに公私共に充実した生活だ。前妻とは絶縁している風でもなく、ニコラスとの関係にも問題はない(ように見えていた)。自身の父親アンソニーとだけは幼少期から確執があり、彼のような父親にだけはならないと反面教師にしているほどだった。とは言え実家に帰って2人で食事を取られる程度の繋がりは残っている。  

 

一方ニコラスはどうだろう。小さい頃に父親に家を出て行かれ、満身創痍の母親と2人暮らし。父親の喪失による傷は深く、不登校の日々。ピーターの元へ引っ越すが父親の新しい家庭の中で居心地よく過ごせるはずもなく、新しい学校にも馴染めずじまい。親の愛情を一心に受ける弟、愛情を育む父親と知らない女。今回の一件で関係を修復し始める両親。いつか見た景色。もう一度見たかった景色。そこに、自分だけがいない。自分を中心として舞台は動いているはずなのに、肝心のニコラスが、いない。どこにも自分の居場所がない。

 

やはり一番気になったのはあまりにも孤立しているニコラスだ。特に父親との対称性が激しい。ニコラスが主役のはずなのに、彼を利用して周りの人間たちが仲を深めていくように見える。ニコラスの意に反して、世界との溝は深まるばかり。周りの大人たちもニコラスを助けられていると勘違いしてしまっているのが一層悲しい。

 

ニコラスが抱いていたのは、大人にならなくちゃいけないのにそうはなれていないことへの焦り。思春期ならではのありふれた悩みだ。だからこそ、見逃されてしまった危険信号。よくできた大人のモデルとして一番身近にいた父親が更なる重圧となっていた。ピーターが父親らしく振る舞うほどにニコラスにのしかかる重みは強くなる。自分が自分じゃない違和感に気づいていながら原因が分からない苦しみ。ニコラスは倒し方の分からない敵と1人戦っていた。

 

ピーターは自分の父親のような子供を悲しませる親には絶対にならないと決意していたのに、いざ自分が子を持った時にはその嫌いな父親になっていた。私には自分の子供はいないけど、もし自分の子供が学校のことで悩んだりしていたら「私が小さかった頃は〜」とか「そんなの大したことないんだから〜」とか言ってしまう気がする。そもそも自分と子供では20年くらいは年が空いてるのに同じ尺度で物を語るのも間違っているよなと思う。大人からすれば過ぎた過去、小さな苦しみでも、当の本人からすれば今直面している大きな問題。経験も少ないだけに問題もより大きく見えるだろう。苦しむニコラスを上から制圧するように諭し続けたピーターと、目線を息子に合わせて寄り添おうとする母親ケイトの姿勢の違いが印象的だった。

 

この映画で印象に残った言葉はドクターが語る「精神患者に愛の力は無力」と、ピーターの父が幼少期の確執にこだわる息子に対して言い放った「10代の頃の不満を50になってまで持ち続けるな」の2つ。前者は残酷ながらその通りだと感じた。ピーターとケイトも含めてバラバラだった家族3人が再び繋がりを取り戻そうとする最中、病院はそれを引き裂くような存在に見えてしまうのも無理はない。しかしニコラスを連れて帰った判断は間違いだったと言えるだろう。この辺りはストーリーの構成が用意周到で、一方的に両親を悪者に見せない工夫がされていたと感じる。

 

後者はかなり心に刺さった台詞で、時代の変遷による価値観の変容とか、ピーターの多面的な描かれ方とか、「父親ー息子」の関係性とか、色んなものがここに凝縮されていた。3世代の中でニコラスに一番近い私からすればあの言葉は中々キツいなぁと感じるのだが、一方で時代が進んでもなお変わらずに残り続けてしまっている厄介なマインドだよなとも思った。

 

父と息子という関係も、母や娘に置き換えた場合のそれとは違ってスムーズに行かない間柄だよなと。それは(親子という繋がりを外した)男性同士の関係性の話になると思うのだが、プライドだったり恥ずかしさだったり色々な障壁が両者を阻んでいるはずだ。困難に当たった時に他者に助けを求めるのではなく自分を磨くことで解消しようとするのはピーターや彼の父親の時代から共通する考えで、ニコラスですらその価値観に縛られているように見える。現在ようやくその固定観念に疑問が向けられ、価値観は変容しつつあるがそれでも「男とは強くあるもの」という誤った考えが払拭されるのはまだ先になるだろう。ピーターは父親の振るう男性性を嫌っていながら、自身も気付かぬ内にその「理想の男性像」を追い求めていた。そしてニコラスに対して最悪な姿を見せることとなってしまった。

 

劇中で度々リフレインされる家族の海での思い出。まだ1人で泳げないニコラスを泳がせようと試みるピーター。このシーンの意図するものは何なのか。あたたかい親子の思い出か、ピーターが見せる父性か、ニコラスの苦い経験か。記憶が曖昧だけど、ピーターの回想だとすれば思い出す過去があまりにも昔過ぎて、あれ以降良い思い出がないんだろうか、とか早々に家を出てしまったのだろうか、とか色々勘繰ってしまう。情景としてはどこの家族にもありそうなありふれた様子だが、ピーターが息子にものを強要する姿に少し胸がキュッとなる。

 

精神科の忠告を振り払ってニコラスを連れ帰ったピーターとケイト。家族3人が久しぶりに揃った感動的な場面であるはずだが明らかに漂う違和感と危機感。音楽は流れず、部屋の空気が伝ってきそうな不穏な時間。洗濯機裏の猟銃が脳裏から離れない。刹那、心臓を破るような音が響き渡る。徒労感。

 

場面は変わりあの時から数年が経過したある日。扉の向こうから現れたニコラスの姿に戸惑い、事態を理解して再び悲しみに包まれる。映画だとしてもひっくり返りはしないことわり。ピーター達の選択はやはり間違いだった。苦い薬が口の中で散り残ったように、虚しさとやるせなさがいつまでも抜けないような感覚。

 

悲しみに暮れる中エンディングで映し出される「to Gabriel」の言葉。このガブリエルという男性は監督の甥である。彼は鬱病を過去に患いそして克服した経験を持っていて、実はこの映画にもイタリア人インターン役として参加している。鬱病に苦しんだ主人公を追う映画の救いとなるような彼の存在は是非多くの人に知られてほしい。またエンドロール後に鬱病や心に苦しみを抱えている人に向けてのメッセージとそうした患者に向けたサイトの案内が映されていたのも大事な対応だ。サブスクで映画を観るとエンドロール以降の映像は大概飛ばしてしまうので劇場だったからこそ最後の言葉も深く心に残った。上映後隣の席で鑑賞していた高校生くらいの女の子がお母さんに向かって「これって実話…?」と確認し合っていたり、「重い話だわ…」ともらす声が方々から聞こえてきたが、そういう感想で止まってしまうのは鑑賞体験として勿体ないし作品へのリスペクトに欠ける行為だとすら思ってしまう。1人でも多くの人に作品と作品の裏にあるメッセージが届くといいなと思う。

 

本作の監督が以前に作った『ファーザー』は認知症という症状を体験させるような映画で非常に興味深い作品だったので今回のも楽しみにしていた。内容は非常に辛いものだったが根底に流れるものは前作から変わらないように見える。苦しむ者とそれを支える者にフォーカスし、作品によって彼らを後支えするような映画作りに監督の真面目な姿勢を感じる。ショッキングな出来事を題材にしているため安易におすすめできる作品ではないけれど、ここで描かれる出来事はもしかすると明日の自分に訪れるのかもしれないと思うと得られるものは大きいのではないだろうか。


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