sugarspot

映画の感想つらつらと。

『カラオケ行こ!』緻密に練られた笑いの設計

※ネタバレあり

 

カラオケ行こ!
制作年 : 2023年 / 監督 : 山下敦弘


www.youtube.com

 

めちゃくちゃ面白い映画だった。子気味良いギャグでフロアを温め、クライマックスの「紅」でしっかり落とす。過不足ない仕事振りだったと思う。

 

本作における笑いの置き所についてだが、そもそも日本の映画館は鑑賞中に話し声はもちろんだけど笑い声すらちょっと堪えなきゃみたいな暗黙の了解があると感じている。なるべく他所様の邪魔にならないように笑うとしても鼻でンフッ…程度に控えるような。間違っても家のリビングでバラエティ見てる時のドワッハハ!みたいな笑いは絶対にしないぞというマインドで皆さん来られてると思う。逆に外国人は割と面白いシーンは素直に声に出して笑ったりすることが多い気がする。洋画の上映でやっぱり目にすることが多いが、意外にそれをきっかけに劇場の空気が和まされたりもする(つい最近『哀れなるものたち』でそのような状況に遭遇したばかり)。そういう文化的なマインドの違いはまああるだろう。

 

多分これは作り手の立場も同じで、洋画における笑いは一発の威力がめちゃくちゃ高い爆発系が多いのに対して邦画のそれはテンションも抑え気味でなるべくボソッと面白いこと言うみたいなじんわり系がよく見られる気がする。あくまで私の所感なので私が普段観ている映画のジャンルなどに多分に影響されているとは思うが、笑いの感覚という点ではおおよそ間違ってもいない気がする。

 

何が言いたいかというと、ドラマ系の邦画は観ているときの「笑いたいけどちょっと抑えたほうがいいかな…」という一種の緊張感が鑑賞そのものへの障壁になりがちだと私は感じている。  でも本作は私の心配などよそに観客の心を掴むことに成功していた。序盤から細かいジャブでけん制しつつ、あの鶴の傘の登場で完全に劇場の空気をものにしていた。あれ以降ちょっとしたギャグでも笑い声が聞こえるようになったし、私自身もリラックスして望むことができた。私の2つ隣の席に恰幅の良いおばちゃんが座っていたのだが、その人もあのタイミングからよく笑うようになっていた。

 

観客の心を掴んだまま、映画はクライマックスまで走り抜ける。聡実による「紅」の歌詞の読み解き。大切な人に去られた「俺」の喪失。狂児が口にしたカズコとの関係にその繋がりを見る聡実だがその見当は外れてしまう。狂児の悪ふざけに終わる一幕だが、まさかこれが終盤の展開に向けた伏線だったとは。

 

紅に染まった俺は佳境の聡実とリンクする。狂児と突然別れてしまった聡実は彼が死ぬほど愛したあの歌を歌う。変声期を迎えて思うように声を出せない苦しさ。それは子供と大人の間で揺れ動く聡実自身の心とも重なり、疼きとなって表れる。狂児との思い出の回想が一段と感情を揺さぶった。

 

多種多様な笑いで観客の懐に入り込み感情を起伏させた上で、秀逸な展開を畳み掛けることによって最高度の興奮をもたらす。分かる人には伝わるだろうがまるで「うまくいっているときのニチアサ」のような周到に用意された絶頂である。こうした物語のタネが見られただけで私は大満足だ。ちなみに2つ隣のおばちゃんは泣いていた。

 

それにしても非常に精巧にできた映画である。真面目な聡実が直面した思春期の揺れ動きと戸惑い。否応なく訪れる身体の成長とそれに伴う心の変化。望んでもいないのに突如始まる大人への変化は子供からの脱却を余儀なく迫られる。その過程は聡実が学校で見ていた映画のように巻き戻しが効かない。立ち止まることも振り返ることも許されずただひたすら前に進み続けるだけ。子供じみた無邪気さと変化を憂いた曖昧さとが入り混じったあの頃らしい様子がむず痒く微笑ましい。そしてその難しい役を演じきった俳優たちが素晴らしい。先の笑いの話と合わせて見ても中学生特有のローテンションな会話や揶揄もセリフが浮つくことなく聞こえるので驚いた。ストーリー、演技、そして笑い。どれを取っても抜群の仕上がりだと言えるだろう。鑑賞後の満足感のまま、吸い込まれるようにしてビッグエコーへと足を運ぶ。