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映画の感想つらつらと。

『ガーディアンズオブギャラクシー:VOLUME 3』銀河の守護者よ永遠に。

私がMCUを見始めた時、すでに『GotG vol.1』は過去の作品だった。いわゆる"MCUラソン"をする中で『vol.1』を初めて鑑賞した時、オープニングで「Come and Get Your Love」の独特な音色と画面いっぱいに表示されたタイトルを見て「これはヘンテコな映画が始まったな…」と衝撃を受けた思い出がある。ちなみにピーターが宇宙船に連れ去られて「MARVEL STUDIOS」のロゴが始まるあの入りはMCU全作品の中で一番好きな導入だ。ただそれまでの地球を舞台にした物語の雰囲気から随分とかけ離れた作風に初めはめちゃくちゃ戸惑った。しかし周知の通り、ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーMCUの中でも屈指の人気を誇るシリーズに成長する。イロモノ揃いの凸凹集団が織りなす宇宙冒険活劇とハートフルな愛の物語に観客は虜となった。

 

どのキャラクターも愛嬌があるのは間違いない。一番を選べと言われると正直答えに詰まるほどみんな好きだ。間違いなく言えるのは、ガーディアンズという括りではあるもののメンバー全員が深みのある個性を持った魅力あふれるキャラクター集団であることだろう。『vol.1』ではグルート、『vol.2』ではロケットが好みだったかな。

 

さて、ついに満を辞して公開した『vol.3』である。トリロジー最終作を飾る本作は前もって現ガーディアンズチーム最後の物語と語られていた。『vol.1』から9年、『vol.2』『インフィニティ・ウォー』『エンドゲーム』『ラブ&サンダー』『アイアムグルート』『ホリデースペシャル』に続く第8作目の出演となる本作。意外にというか割と頻繁に顔を出していたノリの良いあんちゃんポジションの彼らもついに幕引きの時を迎えた。

 

※ネタバレあり

 

Guardians of the Galaxy Vol.3
監督:ジェームズ・ガン/2023年/アメリ

 

公開前から度々強調される「最後」の2文字と予告の雰囲気から絶対誰か死ぬだろ…と身構えていたがまさかの全員生存。さらには過去最大級に銀河を救って幕を閉じた理想的な大団円だった。インフィニティ・サーガ含めた作品の中でもここまで綺麗に風呂敷を畳んだシリーズも珍しいだろう。

 

鑑賞直後の感想なので贔屓目はあるものの、本作はガーディアンズシリーズはもとい歴代のMCU作品の中でも抜きん出て完成度の高い映画だった。ワクワクさせられる鮮やかな映像と感動的なストーリー。月並みな言葉しか並べることができないが、頭ひとつ抜けたクオリティだった。

 

一言で表すとこの映画は「悲哀」の物語だと考えた。ロケットと同時期に実験によって生み出されたライラ、ティーフス、フロア。身体中に機械が埋め込まれサイボーグのような姿に変えられてしまった彼らの姿はそれだけで胸に来るものがある。グロテスクでダークな4人が檻の中で談笑したり夢を語る風景は、生々しくて痛々しい。創造主であるハイ・エボリューショナリーの計画を察するに彼らの生活もそう長くは続かないことは明確で、4人が楽しそうに過ごしているほど暗い影が落ちるような悲しさが感じられる。監督がTwitterでライラたちのCGテスト映像を投稿しているが、無邪気にはしゃぐ彼らの姿がなんとも切ない。

 

彼らを見る時の感情は間違いなく哀れみだ。ハイ・エボリューショナリーに仕える大柄なブタや実験に利用された数々の小動物、カウンターアースの住人、彼の実験台は"勝手に生み出されてしまった"存在で用済みとなれば即切り捨てられる立場にある。虐げられた者の悲しみは物語という枠を超えて訴えかけてくるメッセージでもあり、単なるヒーロー映画に収まらない、エモーショナルでポリティカルな作品であると受け取った。個人的には『ブルーバイユー』と非常に似ているものを感じる。

 

 

悲哀というと元々ガーディアンズシリーズは、大切な人を失い心に傷を負った者たちの物語である。カラフルなキャラクターたちが遠い星を舞台に繰り広げる巨大なスケール感を持ちながら、一方で誰もが傷つきやすく脆い心を抱えているという弱さが観客の心に寄り添うような温もりを帯びている。特に前2作と比べると本作は感情への訴求が強く監督の熱意を感じたのだが、合わせて9年に及ぶシリーズ集大成という時間が生み出す説得力がそれを後押ししていたとも思う。

 

というのも今作で私がグッときたキャラクターはドラックスとネビュラの2人だった。どちらも復讐に取り憑かれた冷徹なキャラクターとして登場してから、作品を重ねるごとに角が取れて丸くなり人間らしくなっていく様が印象的で、そのクライマックスがまさにこの映画だったと思う。

 

ドラックスは脳筋野郎のトラブルメイカーな側面ばかり目立つが、本作の終盤で収容された子供達の前でおどけてみせる姿は彼の家族がまだ生きていた頃の情景を想像させ、普段は見せない、或いはある日を境に封印してしまった彼の良心や父性が窺える。

 

ネビュラはリーダーとしての姿やロケットの蘇生時に見せる涙、エンディングの楽しそうなダンスシーンなど『vol.1』からは考えられないほど感情豊かになったことが驚きである。ビジュアル面でも新しく披露されたアームが『IW』『EG』でのトニーとの絡みを連想させるようでたまらない。そしてサノスの下で育った彼女がドラックスに対して「あなたは破壊者なんかじゃなく良い父親だ」と告げる場面はこれまでの彼らの人生を総括するような深みのある良い言葉だと思った。

 

ガーディアンズの面々は数多くの苦しみを受けてきた過去があり、そうした痛みを理解し合える存在に出会い家族のような繋がりを育み、自分や他者を救い苦しみから解放される姿が心に響く。本作における2人はまさに時間をかけて成長を描いたキャラクターであり、私たち現実の時間とも重ねて捉えられるような変化に達成感に近い感情を抱いた。

 

 

一方で新規キャラであるアダム・ウォーロック、ハイ・エボリューショナリーの活躍も見事だ。特にアダム・ウォーロックが最高。ガーディアンズとハイ・エボリューショナリーとの戦いがある中で、ソブリン人が介入する余地があるのか気になるところではあったが、全くの杞憂だった。スーパーマンのような完全無欠な、ありがちなヒーローあるいはヴィラン像だと高を括っていたところ、間抜けな姿や優しい心を覗かせるキュートな一面に完全にノックアウト。オルゴ・コープ社内で人質に尋問するアイーシャに促され脅しをかける流れで勢い余って相手を丸焦げにしてしまったかと思えば、側で慕っていたモフモフの獣の処分を促されると「できないよ…俺そういうのには弱いんだ…」と躊躇いを見せるギャップがクレイジーでユニークでユーモラスな人物造形だった。

 

そんな彼も途中、母を失い、ピーターを助け(ミケランジェロの「アダムの創造」パロディも面白い。ここでは”神”の位置にウォーロックが、”アダム”の位置にクイルがいて死にかけのクイルに生命を与えようとするウォーロックの像になっているのも意図的だろう)、果てに銀河の守護者に仲間入りする。『vol.2』のラストでガモーラがネビュラを抱きしめるシーンがネビュラが初めて他者からの愛を受け取る瞬間だったように、クイルの生存に安堵し取り囲む仲間たちの様子がウォーロックにとって「家族の愛」を感じ取った瞬間なのだと思う。輪の中にぎこちなく入るシーンはシュールな笑いとして描かれているが同時に非常に感動的な場面だった。笑い泣きというか、ほろりとした柔らかい感情をギャグで蹴飛ばすのがガン監督はつくづく好きなんだなと痛感する。そのぎこちなさや決まり切らないところが、観客の関心を引いたり感情移入させる”隙”を作るんだろう。

 

 

対照的に全く同情の余地がなかったのがヴィランを務めたハイ・エボリューショナリーだ。先にも述べたように、完璧な世界を生み出すために数々の動物を実験台にし利用価値がなくなれば即座に捨てるような非情さがおぞましい。外道の中の外道。これまでのヴィランの中でも彼ほど倒されてほしいと切に願ったキャラクターも珍しい。自らが神であるかのような傲りを見せる一方で自分の思い通りにならないと気性を荒げる器の小ささもあり、ヘイトは溜まるが見続けたくなるような魅力的なキャラクターだ。

 

実験の様子、改造された動物たちに取り付けられた剥き出しの金属、カウンターアースの爆撃、ハイ・エボリューショナリーが関係する場面は残虐性や暴力性が強く描かれていた。それは虐げられた者たちの”痛み”であり、創造主が悪であるとを裏付けるのには十分すぎるものだった。ヴィランヴィランたりえる背景を徹底して描くことで被害者に対する哀憐と元凶への怒りを確かなものにする。もちろんこれはロケットの造形を深めることにも機能しているし物語全体の緊張感を高めることにも繋がっていた。欠点や弱さを支え受け入れながら前に進むガーディアンズのメッセージを強調する役割も担っており、狂人な彼の存在が本作の評価に多大な貢献をしている。演じたチャック・イウジもノリノリで楽しんだようなので良かった。

 

 

そのほかソ連のロケットで飛ばされたきりほったらかしにされてしまった宇宙犬コスモや亡き師匠の思いを受け取り他者を守る存在へと成長したクラグリンなど印象に残ったキャラクターは語りきれない。全ての登場人物に監督からの愛を感じた。ハワードザダックが登場したカジノのシーンに『vol.1』の質屋の店主も座ってたような気もする。最後の動物全員救出も感動的だった。ノーウェアが第2の地球並みの生態系が誕生してしまいそうなのは気になるが、全員助けてこそ銀河の守護者だよな! 

 

擬似ワンショットカットやハイ・エボリューショナリーとのクライマックスバトルなど全員に見せ場があった盛り沢山なアクションや、今や映画界のトレンドとなった名曲BGMも期待以上だった。最近見た映画だと『ダンジョンズアンドドラゴンズ』の最終戦がテンポ良くて好きだったけど、それに似たような全員の見せ場を華麗に繋げるアクションが印象に残った。名曲プレイリストは『マリオムービー』やクリス・エヴァンス&アナ・デ・アルマス主演の『ゴーステッド』にも使われてたが、ガーディアンズシリーズは使用曲そのもののおしゃれさはもちろん物語にも絡めた選曲が一線を画した出来である。『ホリデースペシャル』から登場した新機ボウイ号やオルゴコープ社のデザイン、ハイ・エボリューショナリーやライラ、カウンターアースの住人のキャラクターデザイン、どれも好みのものばかりで久しぶりに映像そのもののクオリティが高い作品に触れた気がしてとても楽しかった。

 

 

全体的に満足度が高かった一方で、ガン監督特有の不謹慎ギャグはやっぱり苦手だ。カウンター・アースで子供の顔面にボールを投げつけたり、バイクに乗った人にラリアットするドラックスは流石に笑えない。宇宙空間に取り残されたピーターの顔面が膨れるのも悲劇なのか喜劇なのか判断できなくて反応に困った。アダムが連れ去るカットが明らかにシュールな笑いを誘うようなフレームだったけど流石に初見じゃ乗り切れない。良いところが多かっただけに不謹慎ギャグが入ってくるのがつくづくノイジーだ。

 

 

最後に、シリーズフィナーレである本作を持って「卒業」を示唆するキャラクターも描かれた。今回登場したガモーラは彼女は私たちがこれまで見てきたガモーラとは別人であり、クイルが愛した人物とも違う。クイルの求愛に最後まで反抗し続けたガモーラにとっての居場所はラベジャーズにあるという描かれ方がよかった。

 

マンティスの旅立ちも同じだろう。ホームができたからこそ、そこから旅立つこともできる。それはMCUという今や巨大な家族から羽ばたきたいと思う役者の心も反映されているはずだ。これまでの「ガーディアンズオブギャラクシー」がピーターたち特定の人物の集団を指す言葉から惑星ノーウェアに設立された組織名になったことも、長期シリーズが故にそこから退くのが難しくなってしまう"足枷"に対する方策だと感じる。(もちろんそればかりではないとは思うが)

 

ガン監督はこの先DC映画をメインで指揮を執る予定でガーディアンズの俳優陣もキャラクターの卒業を示唆する発言が以前から見られていた。そうした諸々の決着として死別とも違う"巣立ち"という別れは愛ある配慮であり、家族の変化として自然な流れにも見える。それぞれのキャラクターが次なるステージに進んでいく爽やかな終わりは心地よかった。

 

3作目にしてようやく用意されたチームスーツも単純なコスチュームというより、オリジナルメンバーでの物語の完結を宣言する監督の決意とこれからも「ガーディアンズ」を登場させたいスタジオの意向の折衷案なんだと勝手に推測している。

 

パンフレットでドラックス役のデイヴ・バウティスタが制服が作られたことで上半身の特殊メイクをする必要がなくなりとても楽になったと書いてあって笑った。前は乳首が敏感で着られなかったから本当によかった。何より戦隊っぽいチーム感が出て良いデザインだ。あの青いスーツを着ていれば誰でもガーディアンズになれるし、オリジナルのメンバーでなくてもこれからもチームを登場させることができる。ミッドクレジットで早速アダムも着用していたので新生ガーディアンズの今後の活躍が(あるのならば)期待される。

 

ピーターたちの長きに戦いにも区切りがついた。チームに残る者、去る者いろいろだが、先の分からない巨大なユニバースの中で今もどこかで彼らが生きているのだということが別れの寂しさを少しばかり和らげてくれる。ありがとう、お疲れさまの意も込めて、あの音楽に耳を澄ます。 

Come and Get Your Love

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