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映画の感想つらつらと。

『SOMEWHERE』渇いた心は水を求めて歩き出す

Huluで視聴。

※ネタバレあり

 

Somewhere
監督:ソフィア・コッポラ/2010年/アメリ

 

家庭のことなんてまるでダメなスター俳優の日常というどうでもいい話のはずなのに、こんなに雰囲気たっぷりに、そして何かステキな映画を見てしまったような気持ちにさせてくれるのは何故だろう。子を持つ大人として-100点の男が-90点くらいに立て直すくらいの、冷静に考えればほぼ何も進歩していないダメ野郎の話なのに!

 

感情の行くまま書き殴ってしまったが、しかし本作はスター俳優という主人公の特殊性を除いて描かれるほとんどがありふれた景色であるはずなのに、そのありふれた景色こそがラストの推進力に大きく寄与してくる構成が絶妙である。そして何気ないと思われるシーンにもキャラクターの心情が反映されている文芸的な美しさがある。

 

オープニングから抜群のつかみである。砂地を駆ける黒塗りのフェラーリ。過ぎ去っていったかと思えば再び背後からエンジン音が聞こえてくる。周回コースをぐるぐると回り続ける車を動かずにいつまでもとらえ続けるカメラ。勢いに乗っているのか惰性で回っているのか判断のつかないその姿は一見するとシュールで滑稽である。しかし冒頭のこの場面からすでに映画は語り始めている。

 

主人公のジョニーは世界で活躍する一流のハリウッド俳優である。文字通りのトップスターである彼は日夜仕事やパーティーで多忙を極めている。仕事の予定は直前にならないと分からず、とにかく言われるがままに世界中をあちこち回り、次から次へとやってくるタスクを片付けていく。忙しすぎるあまりかプライベートな時間はほぼホテルで過ごしているようで、いろんな女性と一夜限りの関係を持ったりポールダンスの出張を自室に招き入れたりと散々な様子だ。

 

流れる映像は断片的なものを繋げたような印象を受けるが、それは彼の忙殺される日々を表しているようであり、時間という概念すら失ってしまった彼の感覚を味あわせてくれているようでもある。

 

冒頭の話に戻すと、呆れるほどコースを周回するフェラーリのオープニングは俳優という仕事によって終わりのない道をひたすら奔走するジョニーの姿を示唆している。私たちがあのシーンを見てうんざりした気持ちはまさにジョニー自身が負っている感情なのだ。どれだけ走っても一向に終わりが見えない俳優生活という耐久レースの中で彼の心は渇き切ってしまった。

 

トップスターとして相当に非凡な生活を送っている彼は一方で全くと言っていいほど事件性のない人物としても描かれている。撮影所へ車で向かう最中に事故現場を通り過ぎる一幕に象徴されるように、彼は決してトラブルを引き起こすタイプの人間ではない。

 

一見するとめちゃくちゃな生活に見えるが、彼は仕事を至って真面目にこなしており、女性関係も大事には発展させない自制心は備わっている。

 

この映画の面白いところはそうした彼の非凡さと平凡さの入り混じった人間模様であり、特殊でありながらどこか等身大にも見えるアンバランスさである。ユニクロで買ったような飾らない格好でフェラーリを乗り回す姿にもそうした一面が垣間見えるかもしれない。

 

仕事に追われ生きる活力を失い、転がるように生きるジョニー。しかしそんな彼の人生に一石を投じるきっかけとなるのが一人娘のクレオである。

 

刹那的に性欲を満たしていただけの生活に突如として入り込んできた父親としての時間。一緒にトランプをしたり、テレビゲームで遊んだり、夜中にアイスを食べたり、学校のことを話したり。過去にどれだけ空白の時間が空いていたのかは分からないが、2人の様子は何気ない親子の風景そのままである。どれもこれまでに見てきたジョニーの渇いた生活とは正反対で瑞々しい。

 

娘の前では常識で行動できる姿も面白く、良き父親像を想像させる。父親の仕事場で言い寄ってくる女性も、ホテルのベッドでスタンバイしていた女性も、決して動じずに素早く対処し沈静化している。無駄に高い危機管理能力に笑いつつ、娘の前ではダメな姿を絶対に見せない姿勢が良い。こういうところでポイントを稼ぐから憎い男である。

 

父と娘で過ごす時間が2人にとって特別でありしかし本来あるべきはずの日常である儚さが時折胸を締め付ける。ここまで書いてきてもう気づいてはいたがこの映画、めちゃくちゃ『aftersun / アフターサン』である。順番的には『aftersun』が本作に非常に酷似しているのだが、弱さを抱えた男性が娘との時間を大切に過ごすという構成はどうしてもグッときてしまう。

 

純心な娘と過ごした時間はジョニーの心を潤した。真っ暗だったトンネルに明かりを灯してくれた。家族と別れることになってしまった過去を悔いるがもうそれを取り戻すことはできない。でも大事なのはそこじゃない。環境を変えるのではなく、自分が変わらなければならない。

 

ジョニーはフェラーリに乗ってどこまでも走り続ける。同じコースを永遠と走り回っていた頃とは対照的にただ真っ直ぐ進んでいく。どこに行けば良いのかは分からない。でも「どこか」には絶対にある答え。それを目指して進まなければならない。思いに駆られるように車を走らせる。さらには愛車を路肩に止め、自らの足で歩き始める。一歩ずつゆっくりと、しかし確実に前進する男の顔には笑みが表れていた。

 

自分を変えられるのは自分しかいない。そしてそれは他の誰かに評価できるものではない。初めに書いたようにこの映画が描くのは、まるでダメな男がちょっとだけマシになる過程である。正直この先ジョニーが自分を建て直せるのかは誰にもわからないのだが大事なのは変わろうと思い歩み始めたその瞬間であることを指し示しているようにも思える。

 

それにしてもジョニーとクレオと過ごした「親子の日常」が充足感に満ちていて、見ているこちらも潤った気分になった。日常的な情景と、人物の心情がわずかに覗けるような映画が好きだと再確認できる良い作品だった。オールタイムベストの棚にしまっておこう。


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