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映画の感想つらつらと。

記憶を辿る、ただそれだけ。『ちょっと思い出しただけ』

プライムビデオで鑑賞。

 

※ネタバレあり

 

ちょっと思い出しただけ
監督:松井大吾/2022年/日本

 

ちょっと思い出しただけ。ちょっと、なんだ。あくまでちょっと。思い出したことで何かが変わる訳ではない。今の自分が大きく成長するわけでもない。思い出したことがこの映画の全てなんだ。あんなことがあった、とか、どうしてあんなことしちゃったんだ、とか記憶の海を一気に駆け抜けていくように人生の断片が思い起こされる。主人公たちの人生に共感しつつ、過去へ遡るごとにパズルのピースが少しずつはまっていくような構成に気持ち良さを覚え、現在へ時間が戻った瞬間には愛しさと虚しさで胸がいっぱいになった。

 

本作は主人公・照生の誕生日である7月26日を1年ずつ遡る構成で、ちょうど1年ごとの彼を取り巻く環境の変化とその種明かしが順番に披露される。加えて私はその光景を見ながら、同じ日が繰り返されることで照生と彼女の葉の2人は「あの頃」から時計の針が止まったままであることを表しているようにも感じた。

 

ある夜、照生は公演の終了後、誰もいない舞台で一人踊り始め、偶然その場に居合わせた葉は彼のダンスを目撃する。足の故障によってダンサーの夢を諦めざるをえなかった照生。彼が見つけた仕事は裏方の照明係だった。一方葉はタクシードライバーとして働き続けていたが、運転手とは乗客がいて初めて意義をなす役割である。言わばどちらも端役的存在なのだ。そんな2人が思い出していたのはお互いが初めて出会った日、深夜の商店街でダンスをした時。今の彼らにとってあの瞬間は人生の主役とも言えるくらいに眩しく映った。ちょっと思い出して、あったかい気持ちになって、でもすぐ胸が苦しくなって。今の2人があの時を思い出すことで生まれる情動。そんな心の機微があの一瞬に込められているように見えた。

 

どんなに過去を羨んでも時計の針を戻すことはできない。時間は常にまっすぐ進み続ける。栄光も成功も時が過ぎれば単なる思い出にしかならない。でもだからこそ何かの拍子に記憶を思い出して感情を揺さぶられるという体験があるのだ。様々な体験が、生きている今ではなく過去にあるからこそ思い出す行為が感動をもたらす。それはまさに映画を鑑賞することと同じである。登場人物に自分の過去の体験を重ねることで共感したり、思い出した体験にうっかり浸ったてみたりするものだ。映画を観ることは、自分の記憶を覗くこととも言えるのではないか。昔をちょっと思い出したこの作品は映画を鑑賞する行為を体現しているように思えた。

 

決して衝撃的な出来事が起こる物語ではないが、最後の場面で2人が眺めていた朝日のように心にすっと染み渡るような、そんな心地よさが良いと思える作品だった。


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