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映画の感想つらつらと。

『グッバイ・クルエル・ワールド』感想

地獄の世界にさようなら

 

※ネタバレあり

 

グッバイ・クルエル・ワールド
監督:大森立嗣/2022年/日本

 

いい映画を見た。ぱっと見の印象だと「なるほどこれはタランティーノ映画を意識したやつだ。」となる。展開の読めぬストーリー。狂喜乱舞。絶妙なテンポのずれ。でもそれだけじゃなかったと思いたい。和製版タランティーノだ、と書くとなんだか勿体無い気がするのだ。これから記す私の考えは、そうした心のモヤモヤを晴らすべく書き殴ったまとまりのない文章だ。読みづらい部分もあるかもしれないが、ぜひ最後まで付き合っていただきたい。

 

安西と蜂谷が座り込む最後のシーン。最後の発砲は1発だけのように聞こえた。もしそうだとするならば撃たれたのは誰なのだろう。私は蜂谷だと考えている。つまり、安西は生きていると考えているのだ。

 

一度外道に落ちた者は地獄のような世界から逃れることはできない。登場人物は皆、生きる使命を剥奪された駒である。そこに理由も因果もなく、ただ駒に課せられた役割に徹しなくてはならない。ヒエラルキーの境界線を踏み越えてはいけない。駒であることを疑ってはいけない。残酷な世界を恨んではいけない。抗ったものに待ち受けるのは漏れなく死であり、その時彼らはようやく地獄から解放されるのである。

 

だが、ただ一人そのルールから逸脱した人物がいる。安西だ。彼はかつてヤクザであったが現在は足を洗い、妻家族と共にホテルを経営しながらひっそりと生きている。安西だけは他の誰とも異なり地獄そのものからの脱出を願っている。恨みを晴らしたり、立場を利用したりせず、ただ裏社会から逃れようと専念している。強盗に参加しようともそれは彼にとって金銭を手に入れる手段に過ぎず、悪名を轟かせたり闇の世界に入り浸ろうとする姿勢は見えない。この違いが安西と彼以外の人物を決定的に異なる存在として描いている。幾度ない災厄も切り抜けることができた。だからこそ、最後の銃声は彼の胸を貫いてはいないのだと信じたいのである。

 

だがしかし、それが果たして安西にとって幸せなのかと考えると、それもまた違うのではないかとも思う。ガゾリンスタンドで矢野と美流の脅威から逃れた安西は浜田との訣別を決意する。だが彼は家族の元へ帰ることができなかった。町民にヤクザであったことが知られ、迫害を受けていた。命の危険から逃れることができた安西でも家族との平和な生活を手に入れることはできなかった。一度道を外れた者に居場所はない。どこにも属することができない。それはきっと死ぬこと以上の苦痛であり、外道以上に残酷な世界なのかもしれない。そういう意味で安西は一生その世界に別れを告げることはできないのだ。


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