sugarspot

映画の感想つらつらと。

『ライダーズ・オブ・ジャスティス』悲劇なんて存在しない。

※ネタバレあり

 

RIDERS OF JUSTICE
制作年 : 2020年 / 監督 : アナス・トマス・イェンセン

 

この世の事象は全て因果の連鎖によって発生している、という因果論と呼ばれる考えがある。原因が生じた原因もまた存在し、結果が新たな結果を生じさせる。無数の原因と結果が繰り返され、今の世界があるとする考え方だ。そして因果論と対立するのが目的論である。途中経過がどうであれ最終的に定められた状態が実現するという考えである。神の意思で思い通りの状態になるということである。

 

 

この映画はクリスマスの季節を舞台にしている。クリスマスはキリストの生誕を祝うものであり、つまりは唯一の神を信仰するキリスト教の祭事である。

 

クリスマスにはサンタクロースが良い子の元へプレゼントを届けにやってきてくれる、と信じられている。だが実際のところは周知の通り、子の親がこっそりと枕元に忍ばせているだけである。もっと味気なく言えば、親がおもちゃを買って、寝ている子どもの枕元にそっと置くという原因があり、朝目を覚ました子どもがそれを発見するという結果がある。これが因果論である。

 

 

物事をどう見るかで捉え方は変化する。変化することを知っていることは非常に大事である。良くないのは目の前の現実から目を背けること、つまり見ようとしないことだ。  

 

マチルデの母、マークスの妻であるエマの死は何者かの計画によって起こされた悲劇であると数学者のオットーは語った。マーカスは復讐に駆られ、マチルデは1人悲劇の原因を突き止めようとしていた。

 

しかしそれは間違いだった。列車の事故はただの事故だった。ギャングのボスが同じ席に座るのも、サンドイッチを捨てた不審な男がエジプト在住であったことも、事実は全て正しかった。無数の因果が交錯した列車の事故を主人公たちは曲解し疑わなかった。それこそが間違いだったのだ。

 

妄想を爆発させてしまったオットーは、一方で既に因果論に到達していた人物でもあった。1人事故当日の背景を省みるマチルデに彼は「そんなことをしても意味がない」と話していた。原因を辿ってもキリがないし、目の前の現実と向き合わなければならない、と。彼は同様に、妻の死から逃げ続けていたマーカスに対しても手を差し伸べている。

 

しかし彼は他人に真理を示しながらも、自分の選択によって誰かを死なせてしまった(これも因果論の考えでは誤りだ)罪悪感によって盲目的になっていた。物事の捉え方は人の自由だが、正しく向き合えなければそれは悪手であるという考えは一貫して提示されている。

 

 

さて、マーカス達の物語と並行してある少女のクリスマスが描かれていた。少女は青い自転車を欲しがったが店主は持ち合わせていなかった。彼は街中で盗んだ自転車を販売しており、その夜も少女の願いを叶えるために青い自転車を盗難する。実はそれこそがマチルデの自転車であるのだが、映画のラストではその自転車をプレゼントされた少女が雪の降る街をくるくると走り回る穏やかな一幕で幕を閉じる。

 

これは実に因果論的な見せ方である。マーカス達に降りかかった悲劇を見せられた後だと、自転車をプレゼントされて喜ぶ少女の姿に何とも複雑な感情を抱いてしまう。しかし何度も言っている通りそれぞれの出来事は無限に広がる因果の連鎖の一部に過ぎず、両者の間に特別な繋がりや運命めいた力を見出すのは見当違いだ。

 

クリスマスという誰もが知るイベントを複数の側面から捉えることで見えてくる多角的視点と現実に対する正しい向き合い方。虚構やフェイクが溢れる現代社会に対する投げかけのようでもあり、非常に時代性を感じる作品であると感じた。