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映画の感想つらつらと。

『ザ・マーベルズ』ドラマはもっと高みを目指してくれ...!

※ネタバレあり

 

THE MARVELS
制作年 : 2023年 / 監督 : ニア・ダコスタ


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残念ながら本作は上手にできた映画ではないだろう。物語には明確な漏れや破綻と言える箇所が複数見られ、ヴィランの動機も様式的な範疇に収まっている。肝心のチーム・マーベルズに対する掘り下げも十分とは言えず、現MCUの一大テーマであるマルチバースも関わっていると言えるのか微妙な具合で、正直何のための作品なのかがはっきりしない中途半端な映画だった。

 

本作は「キャプテン・マーベル2」ではない。モニカ・ランボー、カマラ・カーンを交えた新生チーム・マーベルズとしての映画である。しかし、彼らの出会いが意図せず発生した衝突事故だったように、その勢いのまますれ違っていくようにして3人は散り散りになってしまった。常に一緒に行動してほしい訳ではないが、あまりにもクロスオーバーの重み、衝撃が小さいのではないだろうか。これであればミッドクレジットに登場したケイトと大差ないとすら感じる。

 

てっきり私は家族、継承の物語をやるものだと思っていた。『ミズ・マーベル』は一つのバングルを巡る時空を超えた家族の物語であった。さらにキャロルは空軍時代の元同僚マリアの娘であるモニカと家族のような繋がりが1作目から描かれており、またカマラにとっては憧れのヒーロー、キャプテン・マーベルその人でもある。一方ではキャロル・ダンヴァースとして、もう一方ではキャプテン・マーベルとして、一つの側面からしか見られてこなかった彼女が2人と交わることでどんな変化を見せるのかが見どころになると予想していた。最強であるが故に孤独の戦いを続けてきた彼女の内面がどのように表され、その意思が後継となる2人の若きヒーローたちにどう受け継がれていくのかを期待していた。

 

しかし蓋を開けてみれば、最強すぎる彼女の扱いにくさがますます伝わる内容であった。惑星ハラの間でannihilator=破壊者という悪名を馳せていたキャロル。それは彼女が引き起こしたミスによって惑星に破滅をもたらしたことが原因だったのだが、その過去がありながら特段困惑を見せるでもなく、迷いを生じる訳でもなく、戦いにもいつも通り勝利するで、全くドラマのない物語だったのではないか。確かに弱さを見せる一幕はあったが、それもすごく儀礼的に見えた。そもそも幾度となく「破壊者」と呼ばれていることに対して誰も言及をしないのも不自然だと思ったし、むしろキャプテン・マーベルを盲信するカマラが「破壊者」の烙印を押された彼女の真相に迫るとか、最強すぎるが故に銀河の平和を背負わされたキャロルの葛藤を描いたり人を頼ることの大切さを学ぶ展開にするとか、そういう方向に話が向かないのが非常に気になった。

 

映画を見る中で、ひょっとすると監督はヒーローを描くのがあまり得意ではないなと思った。ヒーローを見せる上で押さえたいテンポとか緩急がハマってないなと感じた。プロでもなんでもない者の意見なので正確さには欠けるが、これまで多くのヒーロー作品を見てきて何となく体で感じている感覚が合わなかったのだ。特に冒頭でキャロルが惑星調査に向かうシーン(予告動画0:16辺り)。こぼれ落ちるように船から宇宙空間へ旅立つ姿はキャプテン・マーベルの特性を象徴するようであり息を呑むような美しさが感じられる。しかし私も好きなこのカットをゆっくりと見せつけるでもなくすぐに次のシーンへ切り替わってしまったので、こういうところはカッコよく決めてくれよ!とモヤモヤしていた。

 

設定もうまく拾いきれていないのではないだろうか。たとえば自分の余りにも大きすぎる強さの使い方に悩むキャロルがニックと2人で会話をする場面があってもよかったかもしれない。未知の存在に備え単身アベンジャーズ計画を進行してきた彼もまたキャロルと同様力の行使や影響力について葛藤してきたはずだ。旧友だからこその掛け合いを見たかったものである。同じく、キャロルとモニカの関係性ももっと深く描けただろう。マリアが亡くなる間際にキャロルに会っていたという場面はおそらくブリップによる5年の間の出来事だと思われるが、回想でチラ見せする程度で本当に良かったのか疑問であり、それ以降モニカに対して一才のフォローがなかったのには驚いた。しかもマリアは別の世界にバイナリーという人物として存在していることが明らかになるが、その展開へ持っていくならまずモニカが母親との別れにけじめをつける必要があっただろう。考えるほどに本作のストーリーがファンサービスとして打算的に用意されたものばかりであるように思えてくる。

 

それでいて用意されたストーリーですら投げっぱなしで終わっているものが散見される。特に気になったのは惑星ターナックスでの人命救助と惑星アラドナでのクリー人との衝突だ。まず、ターナックスでスクラルの難民たちを救助する場面。ダー・ベンの破壊行為によってターナックスが崩壊する中でキャロルたちは全てのスクラル人を救おうとするものの、それが叶わずに終わってしまう。全員を助けなければと焦るカマラの気持ちは当然と思えると同時に、助けられる人たちだけでも確実に救助しようと行動する他2人の心理も理解できる。ここにはヒーローとしての経験の差が如実に現れた瞬間だと感じるが、ここで意見の衝突が起こらなかったのが不思議である。カマラを未熟者とするのか、キャロルやモニカの諦念を非難するのか、どちらを取っても良いと思うけれど、そもそもこれが議題に上らないことがとても引っかかる。

 

そしてアラドナ、放り投げられたヤン王子である。もうこれについては追及する必要もないだろう。アラドナで始まった戦いはどう着地したのだろうか。3人分のスーツを新調してくれたヤン王子への感謝はないのだろうか。次元の裂け目が暴走してそれどころではなかったのだろうか。疑問が尽きることはない。

 

ただ、これほど残念なポイントが挙げられる一方で、キャラクターたちの愛嬌ある振る舞いにやられてしまった自分もいる。ヒーロー映画でありながら戦いの場でない方が満足度の高い映像に溢れている。

 

映画に限らず作品を作る時に大事なのは非日常を描くことそれ自体よりも、非日常が日常の先にどう存在しているのかを見せられるかということだと思う。キャラクターで言えば、アイアンマンもキャプテン・アメリカもソーも備えた万能さではなく彼らの人間性にこそ愛されるべき理由がある。息を呑むほどの熱い戦いを見せてくれる一方で、日常の中でふと見せる何気ない一面にグッと引き込まれるのだ。フィクションの世界に生きる彼らが私たちと同じような悩みを抱え、同じような笑いの感性を持ち、同じような心で繋がれることがキャラクターに命を吹き込むことであり、それは何よりもMCUが得意としてきた手法だろう。

 

だから私はキャロルが癇癪を起こしたり、愛嬌ある仕草を見せる様子に惹かれた。これまで何かと彼女の類まれなる強さにフォーカスされがちだったから、1作目のようにキャロルの人間性が垣間見えるたびに和やかな気持ちになった。

 

また、カマラは等身大の若者として私たちの期待を裏切らない活躍だった。アベンジャーズに憧れるティーンといえばピーター・パーカーが思い出されるが、妄想の中でキャプテン・マーベルと「ツインズ」なるコンビを結成していたり、あのニック・フューリーに対してすらも目を輝かせていたカマラの異常なオタクっぷりには驚かされた。彼女の家族も全編を通して出演しており、正に私たちの代表とも言える彼らの存在は間違いなく本作のスコアアップに一役買っている。

 

アントマンのルイス、ドクター・ストレンジのウォン、シャン・チーのケイティ…etc.。視聴者目線のキャラクターがいてこその作品の人気だろう。彼らのような親しみやすい存在がハードで壮大なストーリーの中で緩衝材のように働いてくれる。カマラをはじめ最近のヒーローたちはその役割も兼任しているような節もあるが、チーム・マーベルズの楽しそうな姿は延々と見ていられるような和やかさがあった。(それだけにモニカの疎外感は否めないのだが)

 

さて、やはり本作は重厚なヒロイズムとポップなキャラクター性がうまく噛み合わない結果に終わってしまった印象を受ける。何よりマーベルズの3人が心境の整理がつかないままに解散してしまったのが残念だ。偶然手にしてしまった力、家族のつながり、憧れと失望。運命とも言うべき出会いの中で絶対に物語に活かせたはずの共通点がほぼ素通りされてしまい、チームアップも今回限りであるかのような結末には正直期待外れである。強くて面白い、魅力溢れるヒーローたちなのだから、それを大事に描いてほしいなと思う。