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映画の感想つらつらと。

『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』縁を紡いだ暴れ野郎、というおはなし

去る2023年2月26日、ドン最終話「えんができたな」を持って幕を閉じた『暴太郎戦隊ドンブラザーズ』。スーパー戦隊シリーズ第46作品目のヒーローは後にも先にも例を見ない非常に特殊な作品だった。怒涛の勢いで視聴者を振り回し楽しませるジェットコースターのような展開とメンバーそれぞれに1人漏らさず焦点を当てた人間ドラマがとにかく面白く、毎週の放送が楽しみだった。あまりにこの1年が楽しく、そして心に残る作品だったドンブラザーズに対して私が感じた魅力を記したいと思う。

 

※ネタバレあり

 

暴太郎戦隊ドンブラザーズ
監督:田崎竜太ほか/2022年/日本

 

本作の魅力として私は以下の3つを挙げたい。

 

①余白を残した物語の展開

②なかなか集まらないチーム

③人間、人生そのものを取り上げたテーマ

 

①余白を残した物語の展開

本作の物語は展開の予想がつかない点とそれでも視聴者の期待を超えてくる点が特に優れている。予想を裏切りつつ期待は裏切らない作風を1年を通して貫くことができたのは何故だろうか。

 

その理由は理性と感情のバランスにあると私は考える。そこには前提として本作に登場するキャラクターは皆一貫した行動理念や深層部分での繋がりがあり、物語の前後における齟齬や矛盾というのは覚えている限りないように思う。むしろ整合性は(具合はどうであれ)常に取れており、それをわざわざおおっぴろげに見せないことに展開の妙があると感じるのだ。そして何よりそうしたはなれ技ができた最大の理由は繰り出される要素に対する解釈の余地を広く取っていることなのではないかと考えている。

 

例えばみほと夏美が同じ顔である謎の真相が「みほは夏美をコピーした獣人であった」ということや、ペンギンの折り紙を折るジロウを見せ獣人の正体を予感させたかと思えば実際は彼を育てた寺崎の方が獣人であったことなど、情報の引き出し方をうまくコントロールしていた印象がある。さらに言えばこうした設定の中で放送当初から予定されていたものは恐らくほとんどなく、リアルタイムの流れの中でうまく終結させていったように見えるのだ。つまり以上をまとめると、キャラクターの造形をはじめとした作品の様々な要素に対して初めのうちから解釈を限定するのではなく敢えてゆとりを持たせることで、常に面白いと思える方向に展開の舵を切ることができたのではないだろうか。実に器用な舵取りだったと思う。

 

話は逸れるが、上記の現象は作詞家・藤林聖子氏の仮面ライダー主題歌とも似ている。氏の書く詞には物語の展開を予言したような内容があることで定評があるが、実際には展開を踏まえた踏まえた上で作詞しているのではなく、作品全体を支えるテーマやコンセプトを反映させた詞が解釈の余白を含んでいることで如何様にも受け取れるように作られていると言った方が正確だ。作品の根幹部分を歌詞にすることで放送の内容が必ず掬い取られるという、当たり前と言えば当たり前なのだが丁寧かつ賢い作りだと感じる。

 

ドンブラザーズで描かれる内容の余白について述べたが、反対に余白を設けないとすれば、物語の展開にキャラクターが振り回されているような印象を受けてしまうだろう。先に描きたいイベントが用意され、ノルマを達成するためのレールが敷かれる。キャラクターの信念が都合よく書き換えられ行動に一貫性が生まれない。時にそれは予定調和や矛盾、解釈の不一致というかたちで視聴者を悲しませる。1年を通した連続ドラマであればその影響は大きく、目先の盛り上がりにとらわれるあまり、時間をかけて醸成する芯の太いドラマが育たないこともままあるだろう。ドンブラザーズはその後の展開にある程度幅を持たせることで常に面白い物語を紡いでいくことができたのである。

 

②なかなか集まらないチーム

今作のヒーローたちは全員が集合するまでに(厳密に言えば、お互いの正体を把握するまでに)本当に長い時間がかかった。ヒトツ鬼が暴れると出現する変身銃ドンブラスターによる強制変身、強制転送機能により、いつどこにいても戦場へ召集されるドンブラザーズ。この便利機能により変身前のドラマパートと戦闘パートを事実上切り離すことに成功。互いの素性を知らないことで生まれるすれ違いを活かしたコントのようなエピソードはどれも甲乙付け難い魅力に溢れている。仲間の素性も分からぬまま敵と戦う展開は実に新鮮で、メインキャラクターの犬塚に至っては初登場の2話から遂に44話までチームに合流することがなかった。ここまでヒーロー全員が集合しない戦隊は異例中の異例である。

 

これについては各所で証言が残されている通り、メンバーそれぞれが揃う過程で生まれるドラマを描くことに徹底した結果の構成である。いい加減な言い方をしてしまうと、従来の戦隊は1話の時点で5人の戦士が招集され以降50話近くに渡り敵をひたすら倒し続けるのが基本的な構成だ。戦隊チームとして1つの存在であるという認識が先立ち、メンバーはその中で1つのパイを奪い合うような状況だと捉えて問題ないだろう。だがドンブラザーズではまず個としての存在を尊重し、それぞれが出会い交わることで生まれる反応に物語の比重を置いた。1人が1つのパイを持ち、5人が集まれば従来の5倍のパワーで展開を盛り上げる。戦闘する時間は極端に短く、本来であれば描かれることのなかった個人同士の交わりにスポットを当てる戦隊としてはイレギュラーな構成がシリーズでも類を見ない面白さを持った作品に繋がった。個人の存在が立ったヒーローたちの群像劇というのはともすれば仮面ライダーと重なってしまいそうであるが、本作はその瀬戸際で踏み止まり、未だ到ることのなかった異次元の境地を切り開いたのである。

 

③人間、人生そのものを取り上げたテーマ

ドンブラザーズは作風、構成、キャラクター、何もかもが想像の範疇を越えた特異な作品だ。しかし1年間を通して描き抜かれた「人間とは何か、人生とは何か」というテーマは非常に真面目なものだった。ドンブラザーズが戦うのは欲望を増幅させた人間が変容したヒトツ鬼。ゴールドンモモタロウの必殺奥義・フェスティバル縁弩が”ヒトツ鬼を心地よく浄化して成敗”(テレビ朝日公式HPより)するようにドンブラザーズの戦いは常に堕ちた人々の救済であった。世界の崩壊や人類の滅亡といった壮大な戦いはなく、愛や憎悪といった人間の感情や人と人が出会う縁というミクロなスケールを深く描いた。

 

スーパー戦隊に限らず数々の特撮作品がこれまでに描いてきたヒーローに対する価値観は芳醇な歴史の中で半ば成熟しきってしまったようにも思える。そんな中、今一度人間の性分や人生そのものを描いたドンブラザーズは私たちに新鮮な風を届けるだけでなく、飽和するヒーロー観をもう一段階拡張させるような役割も担っていただろう。悪を打ち負かすのではないヒーローというのは『ザ・バットマン』(’22)にも通ずる精神が感じられ、実に現代らしいヒーロー像と言える。悩んだり時に間違えたりする人間の弱さと、そうした経験を通して成長する強さを描いた人間讃歌としての側面が本作の魅力をより強靭にしている。

 

配達員である桃井タロウは人々に幸せを届けることを使命とし、たくさんの人との縁を生んできた。お供たちはタロウに翻弄されながら、たくさんの時間を共有する中で人を知り、学び、愛するまでに成長した。タロウもまた彼らから幸せを学んだ。そして再び幸福を届ける使命を彼は果たし続ける。

 

鬼を退治した桃太郎が村の人々と幸せに暮らしたように、戦いをひと段落させたドンブラザーズはそれぞれの形でのハッピーエンドを迎えた。はるかの家へ配達に来た白い制服に身を包んだタロウ。はつらつとした彼の威勢に1年前の姿を重ね、旅路の長さに思いを馳せつつ円環を成した物語に膝を打つ。放送は終わっても彼らの物語は終わらない。そう思わせるような幕引きが余韻を残し心地よさを生んでいる。

 

掟破りな暴太郎たちが見せた縁の物語。彼らは放送の中だけでなく、視聴者である私たちとも縁を結び繋いでくれた。そして、あなたが今こうしてこのブログを読んでいることもまた縁である。目に見える災いや目に見えない恐怖に苛まれる現代に、縁という可能性に満ちた繋がりと人間の弱さを優しく包み込む寛仁な姿を示してくれたドンブラザーズ。気が付けば次なる戦隊がもうそこまで控えている。5人の王様が紡ぐ新たな物語に期待を寄せつつ、今はまだ少し彼らに思いを馳せていたい。


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