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映画の感想つらつらと。

『Coda コーダ あいのうた』感想

2月に映画館で鑑賞。ちょうどアカデミー賞のタイミングに合わせて日本公開された一作。劇場で予告を見て面白そうだと感じて見てきた。

 

※ネタバレ有り

 

 

CODA
監督:シアン・ヘダー/2021年/アメリカ,フランス,カナダ

 

少女の美声と共に届けられたのは、聾者と聴者の間に育まれる愛と旅立つ少女の希望だった。

 

CODAとはChildren of Deaf Adults=“⽿の聴こえない親に育てられた⼦ども”を指す言葉。また音楽用語で「楽曲や楽章の締めを表す=新たな章の始まり」という意味を持つCodaでもある。

 

漁業を営む家庭に生まれたルビーは歌うことが好きな才能あふれる少女。彼女は高校で才能を見出されたことをきっかけに音楽大学に進学することを夢見ていたが家族に猛反対されてしまう。なぜなら彼女以外の家族はみな聾者であり聴者のルビーがいなければ漁業を続けることができなくなってしまうからだ。社会と家族を繋ぐ存在として必要不可欠な存在であると分かってはいるものの、自分の夢を追いかけたい気持ちも捨てられない。家族を愛していると同時にまた自立したい、「普通の」学生らしい生活を謳歌したい思いに葛藤する。

 

ルビーが家庭、漁港、学校、夢、恋人、さまざまな環境に翻弄される姿が彼女の複雑な表情から伺える。子供の前で平気におならしたり下ネタ放ったりする親は年頃のルビーからしたらたまったもんじゃないだろうがああいう家族の関係性は少し羨ましいとも思う。微笑ましい。

 

 

この映画は何よりもルビーの歌唱力に驚いた。合唱部顧問のバーナードによって内に秘める才能をみるみる開花させていくルビー。人生の岐路に立ち、時に感情を爆発させる彼女に歌声も呼応するように進化する。エネルギー溢れる彼女の姿と親身に向き合うバーナードの関係性に胸を掴まれる。

 

ルビーを見届ける家族の姿も印象的だ。最も心に残ったのは発表会から帰宅後、父フランクがルビーの喉元に手を当て、彼女から溢れる音楽を何とかして理解しようとする姿。本作の象徴的なシーンだ。互いを理解しようと試みる親子の姿に心動かされる。

 

 

クライマックスで流れる「Both Sides Now」。物事を両側から覗いたところでその本質は分からない、そこには私の幻想しかない、という歌詞はあの家族を表しているように聞こえる。大好きな音楽を極めたい気持ちもありつつ家族を支え続けなければならないと責任を感じるルビー。そして家族それぞれがルビーに対して抱く様々な感情。どれが正しいということではなく、互いを理解し合えた先にあるものが全てなのだと考えた。(最近『ヘレディタリー』を観たらエンドロールで同じ曲が流れていた。包まれるような優しさなど微塵もなくただただ狂気を感じた)

 

ルビーを見送る家族。フランクは最後の最後に「Go!」と声をかけた。腹の底から湧き上がるような力強さでルビーの背中をグッと押した。それに応える形でI love youのハンドサインをするルビー。家族との和解を経て全力で自分の夢を追いかけることができる彼女の目は希望に満ちていた。

 

ルビーが新たに歩き出した一歩。少女の歌声を聴きながら、あの自信に溢れた笑顔を思い出す。

Both Sides Now

Both Sides Now