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映画の感想つらつらと。

途方もなく長い相乗り 『ドライブ・マイ・カー』

意味なさげに流れていく時間がたまらんのです。

 

※ネタバレあり

 

ドライブ・マイ・カー
監督:濱口竜介/2021年/日本

 

私は長尺映画が大好きだ。垂れ流すように映し続ける映像。集中力が切れそうになる感覚。意味のないことにまで意味を探ってしまう。そもそも現実に生きる私たちの行動全てが意味のある結果に繋がるとは限らないし「物語のように」テンポ良くことが解決していくことなんてまずあり得ない。悩みもがきそれでも満足する決着がつけられないかもしれない。でも想像通りにいかないから人生は面白いし、人は輝くのではないだろうか。

 

さて、この映画は家福とみさきの2人が喪失と悔悟を経て再び歩き出すという普遍的なロードムービーだった。

 

2人はそれぞれ、妻、母を「殺した」呪いに縛られていた。家福は車に乗りテープを聴くことで死の事実から目を背け、みさきは車を走らせることで答え探しの旅に出た。終盤、2人はみさきの故郷である北海道へ車を走らせる。道中2人は真実を語り、思いを吐き出し、現実と向き合う。家福は疑念を感じていた妻をありのままの姿として受け入れ、みさきは車を手に入れることで自分の人生を歩み始めることができた。2人の変化の過程は運転の譲渡、高槻の車中の告白、舞台演劇など各場面において段階的に(時に対照的に)描かれているのが面白い。

 

みさきが韓国にいる状況は広島から韓国行きの便があることを鑑みれば想像に難くない。孤独で1人生きてきた彼女は家福と出会うことで過去の過ちを赦し自分の人生を歩み始めることができた。ドライバーという仕事は誰かのために車を走らせることでありそこに自身の意思は伴わない。乱暴な言い方をすればそれは他人任せの生き方だった。家福と出会い、演劇に出会い、手話使用者の俳優とその愛犬に出会う。様々な出会いと関わりを経て彼女なりの生き方を知ることができた。更に彼女の乗る車は家福のサーブだ。つまり家福が愛車を手放したことで自身の束縛からも解放されていることが暗に示されている。

 

40分ほどある長いプロローグに始まり大きなうねりを見せながら辿り着いた地の先には確かな答えが示されていたと感じる。決して短くはない鑑賞時間ではあるが、それに相応する一種の読了感にも似た感情で心が満たされた。

 

この映画を鑑賞してから、原作であった「女のいない男たち」や「東京奇譚集」など村上春樹作品を読んでみた。特に今作は「女のー」の小説を丸ごとブレンドしたような短編小説それぞれの要素が散りばめられており、その完成度に驚いてしまった。そういう意味では後から読んだ小説は全体的に薄味な印象だった。また映画をみている時は小説を読んでいるような感覚があり、反対に小説を読んでいるときは映画を見ているような心地を感じたのは興味深い。村上春樹の文体がそうさせているのかもしれない。