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映画の感想つらつらと。

『西部戦線異状無し』それでも空は青かった

本年度アカデミー賞ノミネート作品。

 

※ネタバレあり

 

Im Westen nichts Neues
監督:エドワード・ベルガー/2022年/ドイツ・アメリ

 

パウルという名の1人の青年の視点を中心に描いてはいるが、決してミクロな物語ではない。

 

プロローグ的に差し込まれるパウルとは別の兵士・ハインリヒの最期。彼の突撃、そして死。剥ぎ取られる軍服。洗い流される血糊。工場、女性、整列した大量のミシン。機関銃にも似た音が銃創を縫い塞ぐ。流れるような作業で軍服は元の状態へ修繕され、果たしてそれはパウルの元へ渡った。

 

パウルの物語の始点は戦争においての通過点でしかないことを端的に、残酷に描く。青年の向かう先は死しかないことを無情にも突きつける。同じく志願した友人達と交わす無垢な笑顔が切ない。戦地に出向いて得られるものなど死以外に何ひとつないのである。

 

ドイツとフランスの両陣営を隔てる西部戦線。現地に着いて間も無く彼らの理想は打ち砕かれる。帰りたくても帰られない。片道切符の捨て駒でしかない彼らに選択肢などない。武器を手に敵陣へ乗り込むことしか許されない。

 

巧妙に構築された塹壕線。幾度なく繰り返される砲撃。さっきまでだったものが辺り一面に転がる。地獄。むごさに耐えかね戦いを放棄することなど当然できない。命乞いで助かる命もない。生きるためには殺すしかない。やられる前にやるしかない。敵陣に立つのは非情な兵士ではない。パウル達と同じように言われるがまま戦線に立たされ、生きて帰りたいと懇願する非力な一般人なのだ。死にたくない、その一心で、自分を殺さんとする「対象物」の息の根を止める。

 

そうした非情さとは裏腹に、切り取られる景色は信じられぬほど美しい。冬の野山、土に汚れた兵士の顔、音を立て迫りくる戦車の列、戦跡の残った広大な陸地。時に神々しさすらも感じる景色が鮮烈だ。人間の生々しい争いと名伏しがたい絶景のコントラストが戦争の虚しさを物語る。

 

やがて休戦協議が締結し、晴れて帰途に就けることとなる。戦争終結を祝う兵士らの活気で早くも宴の盛り上がりを見せる。しかし翌朝、将軍の一声で休戦定刻前のゲリラ戦の敢行を宣言。反対する声を機関銃で制する強行ぶりである。急転直下、再び戦地へと駆り出される兵士。彼らの目に溢れていた輝きが音を立てて消えていく。

 

無だ。恐怖も悲しみも怒りも全てを超えたパウルの表情に浮かぶのは虚無だけである。機械のような足取りで敵陣へ歩を進める。やられる訳にはいかない。あと15分。それで全てが終わる。鼓動の高まりに比例して足取りが早くなる。生きて帰る。力いっぱいに振るうヘルメットの鈍い音が思いの強さを物語る。鋭い眼光が次々に敵兵を射抜く。  やがてパウル塹壕へ突入。そして繰り広げられる泥沼の白兵戦。揉み合いの末、パウルと仏兵は地下壕へ転がる。距離を取り、間合いをはかる。本当は誰も殺したくない。ここにいる誰もがそう願っている。このまま時が過ぎてしまえば良い。彼はそんな淡い期待すら抱いたかもしれない。刹那、背後の影から伸びた刃が胸を貫く。ぷつん、と張り詰めていた糸が切れるような脱力感。全てが終わった。遠くで聞こえる休戦の知らせ。虚無感。やるせなさが込み上げる。

 

戦争は終わり、新兵の1人が遺体のタグを回収する。パウルが助けたその兵士は力尽き座り込んだ彼の姿を確認する。たまらぬ思いを押さえ速やかにタグを割り、大事に握るスカーフを拾いあげ、兵士はその場を後にした。静まった空間に冬の寒さが伝わる。

 

自然は変わらず美しいままである。暗がりの空に微かに差す陽光。穏やかに流れる雲。雪解けの針葉樹林。眼下で行われた争いも叫びも願いも、まるで何もなかったかのように、変わらぬ美しさがそこには存在していた。皮肉かなこれこそ正に「西部戦線異状なし」である。


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